2024年10月15日(火)

「彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らに は水が見つからなかった」出エジプト15:22



モーセに導かれたイスラエルの民は、エジプトを出て、荒野に出た。
荒野の厳しい環境で、炎天下を3日歩いたが一滴の水も無かった。
民は、のどが渇いて死にそうだった。皆の心は、嘆き、挫折、絶望
状態にあった。そんな時、マラで水を見つけて大喜びしたが、その
水は苦くて飲めなかった。

人々は失望落胆で、不満が爆発し、その怒りをモーセにぶつけた。
3日前に紅海で、後にも先にも無いほどの、偉大な奇跡を見たばか
りだ。その主への賛美と感謝は、きれいに吹っ飛んでいた。まさに
手の平返しだ。その時、モーセはどうしたのか。モーセは主に叫ん
だ。民に向かうのでなく、主に向いた。

すると一本の木を示され、それを投げ入れた。すると苦い水が甘く
なった。私たちも何かが起きると、不満、怒り、失望となってしま
う。それが心の中で、苦い水となり、渦巻き溜まる。苦々しい心だ。
私たちにも一本の木である十字架を備えて下さった。苦い水はどう
やっても、甘くできない。それを十字架が成し遂げてくれる。

色々な人が、理不尽な目に会う事を経験した。上司は自身の失敗に
だんまりで、周囲から自分のせいにされた。又、自分のミスではな
いのに、上司と皆から決めつけられた。怒りと悔しさを主にぶつけ
ると、目の前に十字架が示される。

完全に正しい方が、黙って十字架にかかられている。それにひきか
え、自分は正しいと激高している、自分の姿を見せられる。十字架
から赦しといやしが流れ、平安にされる。苦い水が甘い水に変えら
れる。
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苦い水を誰かのせいにしたい感情が沸き起こる。感情が爆発する前
に、主に叫び備えよう。助けを求めよう。主が平安をくださり、一
瞬一瞬の思いをいやし、次へ導いてくださる。