2025年03月15日(土) 「女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの 前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた」 マルコ 5:33
「女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの 前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた」 マルコ 5:33
女性は12年間、出血が止まらない状態で、どんなに苦しく痛い、 辛い事だったろう。律法では不浄で、礼拝に出れず、宗教的に も社会的にも疎外されて来た。経済的にも、良い医者がいると 聞けば訪ね、を繰り返した事だろう。悪徳医師にもだまされ、 全財産を使い果たした。だが返って更に悪化し、この先どうす ればよいのか・・、全く光が見えず、絶望で、もう心身ぼろぼろ で限界だったろう。 わらにもすがりたい。丁度そんな時、主の噂をあれこれと耳に し、主の着物にでも触れたなら、自分も直ると信じた。必死の 思いだった。主に触れたその瞬間、血の源が枯れて、ひどい 痛みが直った。奇跡が起きた。驚いたことだろう。恐れいっぱ いで、隠れていたかった。誰にも知られず、その場を去りたか った。が、そこで主が「触ったのは誰か」と問われた。じっと群 衆の中に、隠れ潜んでいたが、隠しきれないと思い、恐れて 震えて歩み出た。 「イエスの前に」出た。どんなに恐ろしく、勇気の要った事だろ う。「すべての民の前で」主に触れた理由と、いやされた次第を 話した。すべての人の前で告白した。こんな惨めで、辛い、セ ンシティブな事を大勢の人前で話せるなど、彼女の力ではな かった。自分を卑しめ、闇に隠れていたのが、彼女は光の中 へと入れられた。 主は、「あなたの信仰が」と、彼女の信仰を認め、「安心して 行きなさい」と、もう恐れも不安も怯える事もない、全き安堵と 平安と自由を下さった。身体だけでなく、心も癒し、救いを与 えて下さった。主が彼女を呼び出し、告白に導かれたのは、 実は彼女自身のためであった。晴れやかな喜びと全き平安に 包み込まれた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主は誰が触ったかご存じだったが、自分で名乗り出るように 導かれた。人格と人格の交わりを持たれ、心をもいやし平安 を与えて下さった。いつも主のもとへ行き、余すところなく告げ よう。「安心して行きなさい」といやして下さる。、