2025年04月13日(日) 「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらって いる・・ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に 命じられたのだから」Uサムエル16:11
「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらって いる・・ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に 命じられたのだから」Uサムエル16:11
シムイが、ダビデを呪った。ダビデが、バテシバと姦淫した時 に、その夫ウリヤを殺害した。その罪を罵倒し、ダビデに石を 投げつけ、「出て行け。血まみれの男、よこしまな者。お前は 災いに会う」と。部下が、シムイの首をはねる事を申し出たが、 ダビデは許さなかった。主が、彼に言わせているのだから、呪 わせよと。 ダビデは、その罵りを主が命じられた、主から来たものと受け 止めた。ダビデは罪は赦されていたが、主からの訓練と甘ん じて受けたのだ。「私の身から出た私の子さえ、私の命を狙っ ている」、シムイどころか、実子アブシャロムすら自分に敵対し て、歯向かっている。シムイの呪いも訓練として受け入れた。 敵対して来るシムイではなく、彼を置かれた背後の主の主権を 認め、その下にへりくだった。 そして主にゆだねた。「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下 さる」。どんな苦しみの中でも、ただ状況を変えようとするので なく、主の前に、正しい心でいるなら、それをも用いて万事益 に、主が良い事のための計らいとされる。ヨセフの「あなたが たは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための 計らいとされた」と。 相手の悪意すらも、あなたのために祝福と変えられる。状況 に対して、感情で反応するのでなく、主を見上げ、状況を見る 時に、御霊に導かれて対応できる。主のお心にそって行く時、 どんな苦しく辛い状況の中でも、主が下さる平安を経験して行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 行く所どこにおいても、主を認めよ。目の前の事態を、それだ けを見るのと、主に焦点を当てて、その事態を見るのでは、 天と地ほど違って来る。この事の、主の、み思いは?に立つ 時、主の御心が見えて来る。辛い出来事に、まず主を仰ごう。