2025年05月15日(木)

「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり 信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい」コロサイ2:7



主は「感謝せよ」「あふれるばかりに感謝せよ」と言われる。私た
ちは問題が起きた時、どうだろう。とにかく悩みを解決して欲しく
て、必死だ。祈りは切実となる。そして祈りが聞かれ、問題が解決
すると、あんなにしがみついて祈ったのに、祈りは省略となる。
感謝はどこへ行ったのだろう。

苦しい時の神頼みで、答えられた時に感謝はするが、一時的だ。問
題が無くなった途端、自分の力で生きて行く。主が飛んでしまう。
人間の弱さで、すぐに感謝を忘れる。十人のらい病人の箇所で、主
は感謝するのために戻った、サマリヤ人を大変喜ばれた。「イエス
の足もとにひれ伏して感謝した」。「九人はどこにいるのか」と主。

九人はもう大歓喜で、大興奮で主のもとを去り、どこかへ行ってし
まった。私たちも、病気の時は、普通に生活できている事が、実は
大変な恵みだとわかる。しかし元気になった途端、すべてが当然と
なり、感謝が失せてしまう。入院した人を見舞った時に「朝毎に、
ああ今日も起きることが出来て感謝だなあと、心底の感謝に溢れま
すと。

普段は当り前で、そんな事思った事もないのに。病気になった事も
感謝です」と。」「感謝が足らない者です」と、主の御前に祈って
行こう。感謝して行く人に、感謝を増し加えて下さる。そして感謝
はサタンの足場を砕く。
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夜には朝までの守りを祈っても目ざめと同時に動き始める。本当に
感謝の少ない者だ。今、守られている環境、与えられているもの、
溢れている恵みに感謝し、一日を始めたい。