2004年05月15日(土)

「いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)

ある女性がどうしても職場の同僚を愛する事が出来なかった。態度や言動で心に傷を受けていて嫌なのだ。しかし、心に平安は全く無く、自分も苦しく心は重かった。それで神にずっと祈り続けていた。すると、しばらくして社員旅行があり、宿泊が二人一組で彼女と同室になったのだ。心からうち解けて話す機会が与えられ、彼女が生い立ちを話してくれ、その大変な境遇を知り、彼女に悪気が無かった事、つい、人に敵対的な態度になってしまう事が理解できた。結局、職場で一番心の通い合う仲とされた。しかし、これは女性が自分を変えて下さいと、神に願ったその答えだったのだ。自分を変えて下さいの祈りは聞かれる。この姿勢は大きな祝福の第一歩だ。
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苦しい時は、状況が変わるように、環境が変わるように、人が変わるようにとの発想しかない。状況さえ変わればすべては解決すると思う。しかし、一向に祈りは答えられない。神のみこころは状況でなく、私自身が変えられる事だ。状況の中で、砕かれ学ぶ事だ。