2004年07月15日(木)

「彼の信仰は、彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされたのです」(ヤコブ2:22)

ある時、小学生の子供がフルタイムで働いている母親のために、夕食を作った。母親に言われたのでなく、風邪でしんどそうに、辛そうに出勤した母親を思いやっての事だった。帰宅した母親を喜ばせたかったのだ。これは強いられでなく、又、母親の愛を得ようと、母親に気に入られようとしたためではない。母親を愛し、気づかったゆえに、そうしたかったのだ。言われて嫌々したのではない。これは私達が主に従うゆえに、良い行ないをする理由だ。神の愛を得るためにでなく、愛されているから、嬉しいから感謝のゆえに良い行ないをする。愛をもらいたいがためでなく、私達の気持ちを、愛を感謝を表わすためだ。あなたはどちらだろう。
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もし、愛して欲しいから、愛を貰いたいから主に従っているなら、すでにキリストから離れ、恵みから落ちている。もうすでに100%完璧に愛されている。だから、愛に応えたいから従うのだ。これが恵みと律法の違いだ。今日も、完全に愛されているって何と喜びで祝福!「神様有難う」から出発。