2004年11月13日(土)

「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨て・・ようではありませんか」(ヘブル12:1)

思い煩いや重荷がずっしりとあると、神が見えなくなる。よく経験するところだ。茨が芽を枯らせてしまうように、神への愛や信仰を妨げるのだ。世と神を同時に愛せないように、両立できない。罪や煩いを捨てる事、明け渡す事が大切だ。ある婦人は心に人への憎しみがあり、どうにも出来なかった。しかし、それは自分も相手も害し続けるだけだと、きっぱり捨てる決心をした。その時、自由にされたと。意志を向ける事は必要だ。それを抱き続けたい古い性質があるゆえに。神は「捨てよ」と言われる。罪と重荷を捨てるなら、大空高く舞い上がり、自由に神を愛して行ける。あなたをがんじがらめにし、地上に縛りつけているものがわかっているなら、今捨てる決心をする事だ。あなたの意志を神はご覧になり力を与えて下さる。
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苦しいのに、嫌なのに、心の奥底をよく探ると、捨てたくないのだ。肉は罪を捨てたくない。それが紛れもない肉の性質だ。捨てる決心をする事、それが肉に「ノー」を言い、神を選ぶ事だ。私達に力はない、しかし、意志を向けるなら神が力を下さる。自由にされる。