2001年04月14日(土) 「私は、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害です。したからです」(使徒15:9)
「私は、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害です。したからです」(使徒15:9)
アダムは神から禁じられていた善悪を 知る木の実を食べた時、それをエバの せいにした。エベは蛇のせいにした。 この時以来、人間には他人や自分の手 に負えない環境のせいにして、自分の 行動の責任を逃れようとしてきた。米 国で政府高官がこう言った。毎年、 160万もの中絶は、中絶に反対する 人々が赤ん坊を家に迎え入れてくれた ら、無くなるだろうにと言った。この 論法に従えば、自分の不都合から中絶 を選んだ母親には何の責任も無くなる。 「罪を犯した者に責任は無い。責めを 負うべきは、その人とその罪を罰っそ うとする者だ」になる。神は、私達が 自分のした事に責任を持つべき存在 だと考えておられる事と、何と異なる ことだろう。パウロは、ひどい自分の 罪を認めたその時、主がどんなに恵み 深いお方を悟ったのだ。自分の罪に言 い訳し、弁解し、自分を正当化し、責 任転嫁している内は、罪の赦しは決し て無い。まず、自分の責任を認め、自 分の罪を認めよ。