2005年01月15日(土)

「兄弟たち。おのおの召された時のままの状態で、神の御前にいなさい」(Tコリント7:24)

ある子供が小さい頃から教会学校に集い、大きくなって宣教師になる事が夢であった。しかし、途上で大病を患い、環境的に夢を断念せざるを得なくなった。葛藤を経て、神との交わりの中で、平安を得た。家で療養しつつ、少しづつ働く事ができるようになり、将来は家業を継ぐように導かれた。両親は大変喜び、良き証しとなり、やがて両親は教会へ集うようになった。彼は教会に忠実に出席し、教会学校の奉仕をし、青年達のリーダーとなって行った。教会の中で、家庭で、近隣で、生き生きとした証し人であった。宣教師として海外へ行く事は無かったが、彼の召された場所で大きく用いられた。神に自らを献げるなら、あなたにとって最善の、最もふさわしい場所に置き、用いて下さる。
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一人一人に神の召しとご計画がある。皆違う。しばしば自分の思いと異なるが、神の御旨が最善だ。置かれた場所で、忠実に歩むなら、必ずそこで素晴らしく用いて下さる。今の場所は神の最善だ。そこで神に自らを明け渡して行く事が大切。神が働かれ栄光を現される。