2005年02月11日(金)

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出すと知っているからです」(ロマ5:3)


神のみこころは苦難を用いてキリストに似た人格を形造る事だ。しかし、どんなに私達は反抗し、不平不満、愚痴が多い事だろう。不平不満にいる時は、神の御手が何一つ見えない。真っ暗闇で祝福が見えない。そうでなく、神の愛からの試練であり、ご計画であり、教えようとしておられる事がある。その信仰を口で言い表すのだ。口ではっきり神様に向かって言い表すのは良い。それが自分に確信となって返る。更に学ばせようとしておられ、必ずこの事の中で神を更に知れる。信仰に前進して求めるのだ。苦しい状況の中で神に期待し、神を賛美して行く時、不思議だが自分が変えられる。選択だ。つぶやきでなく、神に焦点を当てて賛美を選択。
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頭でわかっていても、いざ試練が来ると、不平不満、つぶやきが口から出てしまう。試練を神様からのものだと受け取っていないからだ。楽をしてキリストに似た者になれるほど、私達の肉はあまいものではないのに。