2005年04月14日(木)

「主よ。お話しください。しもべは聞いております」( I サムエル3:9)

サムエルに、正しい態度があった時、神はサ
ムエルにわかるように語られた。今も同じよ
うに、神は私達に語られている。しかし、神
の御声がわからない。聞き取れないのだ。ラ
ジオを聞く時、周波数に合わせて聞く。ラジ
オは発信しているが、周波数を合わせないと
聞き取れない。私達の態度が問題だ。神に焦
点を合わせていなければ聞き取れない。デボー
ションしながら、多忙で頭が次のスケジュー
ルで一杯な時、心が立ってしまっていて、心
がそこにない。又、罪があり、神との間を隔
てていたりする。又、自分に都合の良い言葉
を聞きたくて、不都合な言葉に耳を閉ざして
いる場合がある。そんな時は全く聞こえない。
神は語っておられるが、聞きたくないのだ。
自らの内側をよく吟味してみよう。どうであ
れ御旨に従いますの態度がある時必ず語られ
る。
・・・・・・・・・・・・・
心を吟味する事は必要だ。なおざりにしてい
る御旨はないか。拒否している事はないか。
従う気持ちが無いなら、御旨を求めても無駄
だ。御旨は聖なるもの。従う意志がないのに
神は語られない。私達の心はどうだろう。