2005年05月15日(日)

「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)

仕事人間で、家庭を妻任せにし、顧みることなく
仕事に明け暮れていた男性。子供にも問題が起
こり、妻はもうついて行けず実家に帰った。出張
から戻り、心重く真っ暗な家に戻った。虚しさに
今までの人生は何だったのかと涙が出た。「わ
が神、どうして私をお見捨てになったのですか」
がピッタリだった。今までの事を、家族の事、
神の事を考えた。神に立ち返り、大切な家庭を
建て直されたいと切に願った。神に従い、優先
順位を正したいと思った。あんなに息も出来な
いほどの苦悩の夜だったのに、翌朝の陽射し
に神を感じた。神のあわれみは決して尽きず、
朝毎に新しい事を実感した。「わたしを呼べ。
わたしはあなたに答え・・」どんな状態でも神を
呼ぶなら答えて下さる。神を呼ぼう。
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主に在る時、災いは無い。一見どんなに災い
に見えても、それは平安と希望と将来を与え
るご計画の一環だ(エレミヤ29:11)。愛し
ていて下さるからだ。失敗も益とされる。神
を信頼していよう。涙の夜も必ず喜びの叫
びの朝とされる。