2005年07月15日(金) 「おとなになったときには、子どものことをやめました」(Tコリント13:11)
「おとなになったときには、子どものことをやめました」(Tコリント13:11)
子供じみた信仰というのがある。信仰持つなら、 悩みが無くなる。信じたからには、守られるのだか ら、家内安全、商売繁盛、失望、落胆はあり得ない。 すべてうまく行く。皆幸せになり、めでたし、めで たしで終わる。しかし、聖書はそんな事は断じて言っ ていない。救われた目的は聖くされるため。御子の形 に変えられるため。だから、信仰持つや試練が次か ら次ぎへと臨む。こんなにわがままで、自己中心、自 我の強い者が変わるなど至難のわざだ。これこそが御 父の愛だ。主に似た者と造り変えられる。この事のた めに救われた。この目的をしっかり認識し、試練を受 け止めよう。何で?こんな事が?と言うその事こそが、 あなたを変え、練り造り上げて行く。痛く辛いが逃げ ないで、問題、状況を真正面からしっかり受け止める 事が祝福の秘訣だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 受け入れる時、不思議だが問題の見方が変わり、自分が 変わる。自分の思いが強く、思い通りで無いので悶々と 苦しむ。それが、受け入れる時、自分を明け渡す事になり、 自分の願い通りでなく、主の御旨のままにと思える。苦悶 の心に、平安が来る。