2005年09月13日(火)

「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた」(ヨハネ8:9)


パリサイ人は姦淫の女などどうでも良か
った。その目的は主を窮地に陥れるため
であった。石打の刑にしなければ律法を
破る事になり、刑に処するなら主の説い
ている愛と赦しはどうなるのか。訴える
口実を得ようとした。主は違う次元から
答えられた。「罪の無い者が」女を罪に
定めていた矢がそのまま自分に返って来
たのだ。彼らは逃げた。主にも自分の罪
にも向き合わなかったので赦しも無かっ
た。しかし女は逃げなかった。さばきを
覚悟で主のもとにとどまった。その結果、
無罪とされた。見逃すのではなく、主が
これから十字架にかかられたためすでに
赦しが備えられていた。主がその罪を負
われた。わたしたちは逃げるか。
逃げないで真正面から向き合うか。
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自分の罪にしっかり向き合わなければ、
主の十字架の価値がいつまでたってもわ
からない。一つ一つ今日も罪を示されて、
逃げないで、神様に告白しよう。