2005年12月15日(木) 「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で面目を立ててください」(Tサムエル15:30)
「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で面目を立ててください」(Tサムエル15:30)
サウルはアマレクとの戦いで聖絶せ よとの命令を受けていた。しかし、 従わず値打ちの無いものだけを聖絶 し、最も良いものを惜しんで残した。 サムエルからその罪を示された時、 罪の赦しを求めたが民の前で面目を 立ててくれるよう願った。実は面目 体面を保つがための悔い改めでしか なかった。神のみこころに添った悲 しみと世の悲しみがある。御霊に導 かれた悔い改めは弁解も言い訳も自 分を正当化することも無い。ただた だ罪が見え崩おれる。血潮に拠り頼 むばかりだ。世の悲しみは罪の結果 がまずいと思うだけだ。真に自分が 悪いと思っていない。相手や環境が 悪い、体面と体裁が悪いだけで、悔 い改めでは無いから死をもたらす。 見かけは同じでも全く違うものだ。 ----------------- 世の罪の感覚は結果良ければすべて 良しだ。しかし、神様の御心に添っ た悔い改めをするなら、必ず平安の 義の実を結ぶ。