2006年08月15日(火)

「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです」詩編36:9

神の光を受けて、光を見るとある。唯
一暗闇を照らし出すのは光だ。神の光
は、私達の心の中を照らし出す。光が
無ければ、内側がどうなっているのか
わからない。この光で自分の姿をあり
のまま知る。罪が照らし出される。し
かしその罪は、主の血潮によりことご
とく赦される。隅々まで知り、隅々ま
で平安にされる。神に受け入れられて
いる自分を、受け入れて行けるので、
安堵と安らぎだ。その時に初めて、周
囲の人々をも受け入れて行ける。すべ
てが神の光から来る。そして、この光
が無いところは悲惨だ。「彼には、神
に対する恐れがない」「おのれの目で
自分にへつらっている。おのれの咎を
見つけ出し、それを憎む事で」つまり、
罪を見つけるという良い事をしている
つもりでも、神によらず自分でしてい
るのであり、それは神から離れた罪で
あり、真に罪を見る事も憎む事も出来
ないという事だ。神への恐れが無い時、
すべてが誤った方向へ向かう。神の光
で照らされ続ける時に、間違いに気づ
ける。自分は間違う者との認識に立つ
時、光に照らされやすい。
・・・・・・・・・・・・
主は光だ。必ず心の闇が照らし出され
る。しかし、光があっても、自分が目
をつぶっていれば暗闇だ。特に自分が
認めたくない事には目を閉じてしまう。
自分が光を遮断していないか心探ろう。