2006年09月14日(木)

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10

この「やめよ」の意味は、他の訳
では「静まって、わたしこそ神で
あることを」になっている。
「静まって」という意味は、言葉
を発せず、黙ってという意味では
なく、自分で立ち、動き回るなと
いう意味だ。人間的な力に頼るな
という事だ。危急の時、突然の事
態発生の時、どうするだろう。
まず驚き慌て、パニックになり、
自分を救うための、できうる限り
の対処をし、その後、神を思い出
すだろうか。又は、神に祈る事は
祈るが、対応は自分の力でしてい
るか。又、すべてを委ねてのつも
りだが、後ろの橋を焼き尽くせず、
万一の場合の逃げ道を残している
か。結局は全部自分の力でしてい
る事になる。目に見えないものを
信じるのは勇気がいる。今一度よ
く静まって、自分の心を探ってみ
よう。本当は何に頼っているのだ
ろう。人は被造物なので、必ず何
か頼らねば生きて行けない。
もし神に頼らなければ、自分か人
か物に頼る事になる。正しく神に
頼ればどんなに幸いだろう。その
時、神が神であられることを真に
知って行く。
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何に依存して生きているのだろう。
人は苦しみ、ストレス、さみしさ
から解放されたくて解放してくれ
るものの奴隷となって行く。神に
依存して行こう。頼るなら必ず最
善の助けが来る。