2007年03月13日(火)

「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます」詩篇23:3

誰しも慌ただしい忙しい毎日のことだろう。
1日の予定はビッシリで、為すべきことは
山積、幾らやってもきりがないほどだ。し
かし、そんな中で、日ごとに、静まる時を
持つ事は極めて大切だ。日々生活に追われ
ているが、静まって御言葉を前にし思いを巡
らすことだ。自分は御言葉に従って生きて
いるだろうか、御言葉からそれていないか、
心に罪は無いか、御霊に導かれてよく探っ
てみることは必要だ。神を意識する時を、
自らの状態を振り返る時を、持たない限り、
どこまでも流されていて気づかない。神の
御心にそれているなら、それは罪だ。罪を
放ったままにしておくと、必ず苦しみと悲
惨を刈り取る事になる。今のこの時、神を
見上げ、神を意識しよう。御子を賜うほど
に愛して下さっているその愛を覚えよう。
神の前に罪を清算しないまま、喜びと平安
を失い、重い暗い心で歩んでいないか。失
望で沈んでいないか。生涯赦されて赦され
て歩む歩みが信仰生活だ。「ごめんなさい」
は大きな平安と喜びを回復させる。ちょっ
とストップして、神の前に静まろう。神の
霊に触れて心が必ず新たにされる。喜びが
返って来る。
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羊飼いがおられる。それを忘れて羊が自分
で何もかもしようとして迷子になる。羊飼い
がすべての必要を備えて導いて下さる。羊
飼いにただついて行けばよい安堵の歩みだ。