2007年04月14日(土) 「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4
「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4
「肉の思いは神に対して反抗するもの」と はっきり御言葉に言われているように、 それは律法に服従しないし、できない。 神の言葉を聞くと敵対し、反発する心が 私達の内にあるのだ。だから、神の言葉 を受け入れない、受け入れたくない心が働く。 肉とはそういうものだ。救われた私達には 御霊の内住がある。それゆえ御霊と肉、二 つの生き方が内にある。これが葛藤する。 どちらかに従い、それは必ず結実する。あ る時は朝から気分良く聖書を読み祈りで始 める。親切で良い人だ。しかし、何か事が 起きると、怒り、敵対感情むき出しになる。 別人に思うほどに異なる。肉によって歩む 私達はハチャメチャだ。例えば人と問題が 生じた時、御霊は「赦せ」と言われる。し かし、肉は言う「言い返せ。スッとするぞ。 図に乗らせるな。ピシッ!と言った方が今 後のためだ」そして肉に従うと、相手にも 周囲にも害毒を流し、証しはぶち壊しにな り、平安も失せ、何の良い事もない。経験 あるだろう。常に二つの性質が葛藤してい る。自分に信仰生活は出来ない事を認めて、 自らを明け渡し、御霊に従って歩むことだ。 すると、御霊の助けにより、肉には出来な かった事が、不思議にできるようにされる。 御霊の力だ。「御霊に従って歩む中に律法の 要求が全うされる」からだ。 ・・・・・・・・・・・・・ 自分の力では何一つ出来ない。仮に外側出来て も内実が何も無い。しかし自分の無力をとことん 知り、自分に失望し絶望した時に、神のみわざ と愛を経験する。何一つ要求しておられない。 「出来ません。助けて」だけを求めておられる。