2007年06月14日(木)

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」Uコリント12:9

神がそのモーセを用いられたのは、
40才の時でなく、80才であった。体力
も衰え、一介の羊飼いとして40年もの
長い時を過ごし、かつての栄光、力は
すべて失せていた。何の自信も無いモ
ーセだった。40才の時であれば、意気
軒昂、気力も体力もあり、エジプトに
人脈も影響力も持ち、人間的に見れば、
何もかも好都合ではないか。しかし、
人の目と神の目は違う。かつての自信
に満ちたモーセは砕かれ、造り変えら
れ、整えられる必要があった。40年
は長い。何も無い荒野で羊を飼いなが
ら、自己放棄、へりくだり、柔和、そ
れらの訓練の期間であった。自分の力、
自信、野心、今や、何もかも無くして
しまったモーセ、失敗と挫折を経験し、
自らの無力を思い知ったこのモーセこ
そが、神のふさわしい器であった。荒
野の訓練の学校の中で、自らの無力を
知ると共に、へりくだりや忍耐力、他
者への思いやりが培われた事だろう。
何もない環境で、神と交わり、神を深
く知って行っただろう。陶器師である
神は、モーセを民を導く指導者として、
神の手の中で器に練り上げれられた。
モーセが自らの力に頼った時に失敗
したが、全くの無力になった時に、神
は召し出された。自らの無力を知る時
が、最も幸いな恵みの時だ。
・・・・・・・・・・・
自信も力も過去の栄光も何もかも失っ
たモーセが、ふさわしい器だった。し
ばしば弱いが、とことん弱くない事が
問題だ。絶対無力の中で初めて神を知る。
弱くて良いとは何と恵みで平安だろう。