2008年01月15日(火)

「その聞いたみことばも彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2

「先祖達は、わたしを試みて証拠を
求め」とモーセに率いられたイスラエルの
例が出されている。約束の地カナンに
入るために、出エジプトを果たしたに
関わらず、40年間荒野をさまよった。
あげく、約束の地に入れずに、20歳
以上の者達は皆、荒野で滅んでしま
った。ヨシュアとカレブと新世代だけが、
約束の地に入った。民はエジプトでの
災害の奇跡と紅海が分かれる大奇跡
を見た。又、何も無い荒野で水が湧き、
マナやうずらが降るのを見、雲の柱や
様々な奇跡を見た。しかるに、尚も神
を信じないで、約束の地に入る事を
拒否したのだ。それらの民達を教訓と
するようにと警告している。彼らは神の
言葉を聞いていて、乳の蜜の流れる地
へ入れるという良き知らせを聞いていた。
しかし、その聞いた言葉が「信仰によっ
て」結びつけられず、何の益も無かった。
カナンの強敵について聞いた時も神を信
じなかった。せっかく苦難のエジプトから
脱出させて下さったのに、神への信仰
がなく不信仰のゆえに、荒野で死んで
しまった。何のためにエジプトを出たの
かわからない。御声を聞いて従う事は
厳粛な事だ。どっちでも良い、いい加減
な事ではない。私達は御声をどう聞い
ているだろう。幾ら奇跡を見ても、「信
じよう」としなければ、荒野の民と同じ
になってしまう。今日、「信仰」を献げて
行こう。
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奇跡を見ながらも信仰にしっかりと立
つことが出来ないイスラエルは自分の
事だ。かたくなで、押し流されやすく、
不信仰の者と覚え、示された御声に、
しっかりと従って行こう。