2008年02月13日(水)

「しかし、ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」ルカ24:18

二人の弟子達は目がさえぎられていた、
とある。そのため、かたわらを歩いて
おられる方が主イエスだとはわからな
かった。なぜ、わからなかったのか。
御言葉によると「信じない、心の鈍い
人たち」とある。「不信仰」が目をさ
えぎっていたと。復活を信じない彼ら
は、主が死んでしまったと、深い失望
と落胆の中にあった。悲しみもあった。
私達も失望、落胆の中にいる時、主が
全く見えない。真っ暗だ。「失望」と
は主に期待をしない、主を見限った不
信仰だ。主には不可能とする、不信仰
は私達の心をふさぎ、主を見えなくす
る。又、「自己憐憫」は自分の殻にこ
もり、主をシャットアウトするので、
ただ見えるのは自分だけだ。又、「思
い煩い」も目がさえぎられる。主を閉
め出し、不安に支配され、山の心配だ
けが見えて、主が見えない。「多忙」
も目の前の事に心が捕らわれてしまい、
主を認める事をさせなくする。あなた
も今、目がさえぎられているか。障害
物に気づき、悔い改めよう。それを取
り除けて頂こう。今もあなたのかたわ
らに主がおられる。
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主に期待しない、信じようとしない頑
なな不信仰は全く主が見えず、真っ暗
闇の中だ。主を信じようとする時、平
安が来て、すぐかたわらにおられる主
が見えて来る。