2008年04月12日(土)

「来て。主のみわざを見よ」詩篇46:8

主は戦いをやめさせ、弓をへし折り、
槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
そして「やめよ。わたしこそ神である
ことを知れ」と。エルサレムの人々に、
主がもたらされた勝利を、敗北した敵
の姿、その様子、主の戦勝の品々を見
よと告げられている。そして、主が戦
われ、主が勝利をおさめられたという
事を。「やめよ」とは、人間の力によ
る、人間的な知恵、方策による、肉の
様々な工作をやめよということだ。肉
の力で戦うのではなく、その肉に、自
分に死んで、御霊に支配されて、御霊
の導きに従って行くのが信仰生活だ。
「神はそのまなかにいまし、その都は
ゆるがない。神は夜明け前にこれを助
けられる」神は都の真ん中に臨在され、
その都はゆるがない。神は私達一人一
人のただ中に臨在されるので、私たち
は何があっても揺るがない。不安な事
柄や思い煩う事態、恐れに襲われる事、
信仰生活で様々な事態が生じるが、そ
の時こそ「わたしこそ神であることを
知」れる時だ。「やめよ」人間的工作
は止めて、目に見えない神を信じよう。
「神はわれらの避け所、力、そこにあ
る助け」だ。「主のみわざを見よ」今
までどんなに良くして下さっただろう。
必ず折りにかなった助けがあり、奇跡
があり、幾度もみわざを見た。今、新
たに主に信仰を献げよう。
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自分が肉の力で動き回っている限り、
主は傍観しておられる。肉の力は逆方
向へ進んで行く。自分で動くのを「や
めて」御霊の導きを求め、御霊によっ
て進む時、主のみわざを見る。