2008年09月14日(日)

「私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません」ローマ8:12

主は「何も」思い煩うなと言われる。
心配するなと。ところが、ふつふつと
思いが湧いて来ないだろうか。「何も
心配しないなどと、無責任ではないの
か。そんな事でいいはずがない。自力
で問題に対応し、ちゃんと思い煩わな
いといけないのではないか」又、「何
でもかんでも委ねるなどと調子が良す
ぎる。自分で努力しなければ」これは
肉の思いだ。この思いに騙されて引か
れて行ってはならない。私たちは「肉
に従って歩む責任はない」。主イエス
が肉と同じかたちで十字架につけられ、
肉を処罰され、肉の責任をすべて主が
受けて下さった。肉はすでにかたが付
けられ、解決済みであり、だから、肉
に従う理由も責任もない。御霊の声だ
けに聞き従って歩めばよい。「何も」
心配しなくてよい。主は羊飼いであり、
私たちは羊だ。必要なものすべては、
羊飼いが責任もって備えられる。羊飼
いの仕事だ。飲み水のある沢に、食物
のある草地に導き羊飼いは身を挺して、
羊を狼から守る。心配は主がしていて
下さる。私たちは心配する責任はない。
私たちの責任は主について行くことで
あり、それだけだ。御霊が導かれる所
に行き、せよと言われる事をすればよ
い。その時、主と一つであり、心配は
何もない。私たちに先は全く見えない。
しかし、主はすべて先を見ておられる。
その主に委ねておれるとは、何という
平安だろう。
・・・・・・・・
肉に対して責任があるように感じて
しまう、そのような思いが湧く事を
認識していよう。御霊の声を聞き、
御霊に従う事だけに、責任がある事
をしっかり心に定めよう。