2008年12月15日(月)

「彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。そこで、主は彼らにその願うところを与え・・やせ衰えさせた」詩篇106:14



イスラエルの民は、自分本位の欲望にかられて、わがままに、自己中心に神に求めた。
彼らは、欲望のままを願い求めたが、神は彼らに彼らの願う物を与えられた。

どうしても欲しかった、願ったものは得たが、しかし、彼らは決して心が満たされる
ことはなかった。

別の訳では「神は欲しがるものをお与えになりましたが、彼らの心を空虚になさいました」
とある。彼らは、欲しい物を得たのに、彼らの心は満たされない。

自分が最も欲しい、絶対に欲しい、どうしても欲しいと、願っていた物を手にした途端、
心が虚しく、ポッカリ穴が空き、これは自分が本当に願っていたものではない。

自分が本当に願っていたものは、別のものだと気づく。
私たちの心が本当に欲し、願い、求めているもの、それは、神ご自身だ。

心の空洞は、神を求め、神によってのみ、ピッタリと埋められる。
神との交わりなしでは、何を手に入れたとしても、心には、虚しさしかない。

「激しい欲望」「願うところ」「やせ衰えさせた」激しい欲望にかられ、どうしてもと
願うなら、神はそれを与えられる。しかし、心は逆にやせ衰える。

神が与えて下さるものに満足し、感謝し、「満ち足りた心を伴う敬虔」はどんなに喜びで
あり幸せだろう。「大きな利益を受ける道」だ。神は貪欲から心を守り、満足を下さる。
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満ち足りた恵みをすぐに忘れ、次々に来る肉のままの祈りをしているだろうか。「御心がなりますように」の態度で神様に尋ね求めたい。