2009年02月12日(木)

「神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた」創世記21:19



サラは、イサクをからかい、いじめるイシマエルを追い出すように、アブラハムに要求した。アブラハムにとればイシマエルもまた自分の子供なので、非常に悩み苦しんだ。

しかし、神に導きを受けたので、ハガルとイシマエルを出した。
二人は荒野をさまよった。食料は無くなり、水ももう一滴も無くなった。
子供に何も与えてやるものが無い。死を待つだけだ。

この悲惨な状況に、どんなに心は辛く悲しく、嘆きと苦しみだったろう。絶望状態だ。声を上げて泣いた。
その時、「神の使いは、ハガルを呼んで」見捨てられていなかった。

絶望の叫びを聞かれた。「神がハガルの目を開かれたので」彼女は水のある井戸をみつけて、子供に水を飲ませることができた。

その時、井戸が掘られたのでなく、そこにすでにあった。
ハガルは井戸のすぐそばにいた。そばに井戸があったに関わらず見えなかった。

私たちも学ぶことができる。信仰人生で数々の問題に出くわすが、問題が問題なのではない。目が閉じていることが、目が見えないことが問題なのだ。

目が開くと井戸を見出した。絶望、失望、不信仰の中では目が見えない。
真っ暗闇だ。問題の中で神に向き合おう。そこに光がある。
御言葉を与えられるよう祈ろう。神に向いた途端、解決への糸口を得る。
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聖書を開き、御言葉に向き合った時、問題の中でも、思いが全く変えられる経験を幾度もする。混乱の中にあるならすぐに、目を主に向けよう。