2026年06月10日(水)

「立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘の がけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした」 ルカ4:29



主が、故郷ナザレに行かれ、安息日に会堂で教えられた。御言葉を
読まれ、「わたしの上に主の御霊がおられる・・貧しい人々に福音を
伝えるようにと。捕らわれ人には赦免を、盲人には目を開かれ事を、
虐げられている人を自由にし」奇跡のみわざだ。

「今日、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現し
た」と。何千年前からの預言が、今日実現し、メシアが今ここにい
ると。何という喜びだろう。人々は、主から出る恵みの言葉に驚き、
感動し、主を誉め讃えた。だが同時に「ヨセフの子ではないか」と
冷ややかに蔑む。ナザレは小さな村で、主は、普通のヨセフの子、
大工としか見えず、とても信仰の対象などでは無かった。

そのため主からの言葉を聞く事ができなかった。ただの「ヨセフの
子」「大工」の言葉は、人々に冷水を浴びせ、萎えさせ、恵みを奪
い、消してしまう。メシヤとして受け入れないので、御言葉が聞け
ず、信仰が生まれる事が無かった。預言者は誰でも自分の郷里では
歓迎されないと、主は人々の不信仰を嘆かれた。

私たちもどうだろう。自分の価値観、肉の思い、判断で、御言葉に
対応すると、決して受け入れない。「そんな事、あり得ない」「無
理、不可能」「世の中でやって行けない」。肉の判断に気づけて、
御言葉に立てるよう、御霊の気づきが与えられるよう祈っていよう。
世に調子を合わせていないだろうか。
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救われていても古い思い込みや価値観で、少なければ感謝より不満
が湧き、世に引っ張られては不安になってしまう。その時に気づき
たい。御言葉は何と言っているのか、主の言葉を聞こう。