2025年08月13日(水)

「弟子たちを呼び寄せ・・『まことに、あなたがたに告げます。こ の貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりも たくさん投げ入れました』」マルコ12:43


主が人々が献金を入れる様子をじっと見ておられた。金持ちた
ちが、次々と大金を入れた。そこに貧しいやもめが来て、レプタ
二つを献げた。極めて僅かな額だ。しかし主は、この女性がどの
金持ちよりも多く献げたと言われた。なぜなら皆は有り余る中か
ら献げたが、彼女は持てる全部を献げたからと。彼女の全財産
がレプタを二つだった。

一つを献げて、もう一つを明日の糧にできた。しかし彼女の、主
への愛と感謝は、全部を献げる行為となって、溢れ出た。献金と
は献身だ。それは自分自身を明け渡す事だ。彼女は、主が、
明日の糧を必ず与えて下さると、信じたからそうした。主は、彼女
のその信仰を見られ、受け取られた。肉は、主を信頼するのでなく、
み心を問うのでなく、まず自分を守ろうとしてしまう。

自分の分を確保し、金持ちのように有り余る中から、少しは
献げるだろうか。私たちにも、絶えず背後の悪魔から、富への
誘惑が来る。悪魔は、富が、将来を保障してくれると錯覚させる。
富が夢を叶え、幸せを与えてくれると思い、富が偶像に、神に
なってしまう。そのため、固く握り締めて、放せなくなる。

頭では、神第一が大切、それが祝福とわかるのだが非常に
難しい。全部を献げよということではなく、彼女は彼女への
み心を行なった。それぞれ、できる事をさせて下さる。富が
偶像になってしまい、それに支配され、囚われる事が問題だ。
富への執着は思う以上に強く深い。主は愛していて下さる。
そこから解放し、主の喜ばれるように富を用いるようにして
下さる。

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主は、彼女の財産がレプタ2つだと知っておられた。その心を、
信仰を喜ばれた。私たちの所有物もすべてご存じで、愛して
いて下さる。主のお心に従い用いる時、どんなに平安で喜び
だろう。生活を秩序立てて、祝福して下さる。