2009年07月15日(水)

「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」Tテモテ1:19



信仰生活で良心は大切だ。良心とは「共に知る、共に認識する」という意味で、神の前で、神と向き合い、神と共に生きることだ。良心が麻痺するなら、信仰が成り立たない。

バテシバを見て、姦淫の誘惑が来たダビデは「姦淫してはならない」の戒めが臨んだ事だろう。しかし、「自分は王だ。誰も止める者はない。それに誰も見ていない」と、もう一つの声も来た。

その声が勝った。意志をそちらに向け、選択してしまった。そして、バテシバの妊娠を知ると、隠ぺい工作のため策略を練り、結局、夫のウリヤも殺害してしまった。
自らの良心があるに関わらず、その良心を押し殺し、麻痺させた結果、罪に罪を重ねた。

私達も同様だ。良心の声、御霊の声を無視し、肉とサタンの声に従って行く時、最初は良心の強い痛みが来るが、段々痛みが少なくなり、いつしか痛みを感じなくなってしまう。
悪いと思わなくなる。これは恐ろしい状態だ。そして自分を正当化し始める。この世的には地位も名声も得るかも知れない。しかし、心に平安は無い。

真の幸いは、自らの欲望の実現ではない。思い通りになる事ではない。真の幸せは、神に従い、神と一つになって生きる事にある。神の願いは何かを問い、神の御心を知り、それを行って行くことそこに喜びと平安がある。

ダビデは悔い改め、神に立ち返れた。全き平安が戻った。良心を麻痺させるなら、信仰の船は沈没だ。良心は大切。肉とサタンを拒否し、御霊の声に聞き従おう。

・・・・・・・・・・・・・・・・
良心とは、神の御前に生きることだ。そこに神のご愛と慈しみのまなざしがある。希望がある。肉とサタンが、自分の都合の良いように生きるよう誘惑するが、神が共におられる。今、御声が聞こえていたら従おう。