2009年08月14日(金)

「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」Uコリント9:6



献金は大きな祝福だ。この祝福を奪うためにサタンは必ず妨害して来る。古い性質には欲があるため、なかなか献げられない。
ある人は「前もって用意」するよう御霊から示されていた。
銀行で下ろそうと思うが後回しなり、時間を失ってしまった。

礼拝で手持ちがなく渋った。すると帰路で車のトラブルに会い数万の出費をした。ある時も御霊からの示しに関わらず、家計の不安をあおるサタンの声に耳を貸した。
献げられなかった帰途、交通違反で罰金に。

神の取り扱いのご愛がむしろ嬉しかったと。別の人は困窮状態のため祈り求めていると、もっと献げよと示され、支払いも滞る状況だが、示しに従って信仰によって大胆に献げた。

すると、思いもかけない所からすべての必要額が与えられ満たされた。身をもって従う事の祝福を知った。肉は1から10まで自分の事だけを考え、自分の損得で動く。

絶対に損はしない。得る事に喜びを感じる。貰う事が嬉しい。しかし、内なる新しい人は損得でなく、神の御心が判断基準だ。
例え損になっても、神に従い、御言葉に従って行く。そして大いなる祝福を刈り取る。

献げる時、必ずサタンが欲に働き、妨害して来る事を覚えよう。御霊の示しに、信仰によって従う時、大きな祝福を見る。又、新たに主の愛を知り、喜び満ちる。
そして必ず更に与えられる。私たちは何のために生きているのだろう。蓄えるためか、それとも主の素晴らしさを知るためか。
----------------------
御霊の促しを感じ従った時、必ず神様からの祝福を覚える。献げた事に神様からの応答を感じる。献げなければわからない事だ。示された献げる思いをサタンに奪われないよう祝福に預かろう。