2009年09月13日(日) 「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか」Tサムエル15:22
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか」Tサムエル15:22
サウルはサムエルに、アマレクを打ち、すべてのものを聖絶せよと命じられた。 しかし、サウルは、最も良いものを惜しみ、主にいけにえを献げるためと言い訳 し、取っておいた。どうでも良いものだけを聖絶した。 又、斥候12人がカナンに遣わされた時も、10人はその地について悪く言い、 人々は不信仰に陥り、エジプトへ帰ると言い出した。神は彼らが言った通りをす ると言われ、20歳以上の者は皆、荒野で死に、ヨシュアとカレブと子供達だけ を導き入れると。 そして10人の斥候達は皆疫病で死んだ。それらをモーセから聞いた人々は、山 地に上って行こうとした。「私たちは罪を犯したのだから、とにかく主が言われ た所へ上ろう」と。 上れば良かったのだから、上って行こうではないかと。彼らは何もわかっていな かった。山に上る、上らないの問題ではなく、彼らの間違いは、神に聞き従わな いことなのだ。 神の御声に聞き従ってこそ、それは信仰による行ないだ。外側は全く同じ行動で も、意味が全然違う。またしても、神に聞き従うのでなく、それがだめならこれ でと、どこまでも神を無視して、自分の思いで行動しようとする。この態度の事 だ。 神の御声と同時に、サタンの声や肉の思いからの声が聞こえる。「このやり方の 方が絶対に良い。少し位構わない。この考えの方がうまく行く」と惑わす。自分 の強い思いが湧き上がる。サタンの策略だ。識別できるよう、そして御声を聞き、 従えるように祈っていよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サウルは御言葉を軽んじたから、従う事をしなかった。自分の御言葉に対する態 度はどうだろう。御言葉を愛して、御言葉に従えるよう祈ろう。自分の力ではで きないが、主ができるよう助けて下さる。出来ないから、祈りが備えられている。