2009年10月14日(水)

「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った」創世記3:7


エデンで「あなたがたの目が開け」「神にようになる」との蛇の誘惑により、エバは善悪を知る木の実を取って食べ、夫アダムも食べた。その時、二人の目は開かれた。
「目が開かれる」というのは、神から独立して、神に頼らず、人が自分で善悪を判断できるようになったという事だ。

罪が入り、霊が死んで、神との交わりが絶たれてしまった。そのため、裸であることの恥が来て、恐れが臨んだ。その時から、人は神を離れ神無しで生きるようになった。
「肉」とは、つまり、神無しの、神によらない生き方だ。罪にある人間による考え方、生き方、価値観だ。神から独立して自分で生きることだ。

神からの独立=人間中心という事になる。肉とは、いわゆる悪行とは限らない。妬み、憎しみ、泥酔等はストレートでわかりやすいが、道徳的で麗しいもの、感動的なもの、立派なものも、神を崇めず、神無しの生き方であれば「肉」だ。感動的なヒューマニズムも、根本に神無しであり、神に敵対している。

世界平和、人類愛をうたっていても、神否定だ。「肉」が改良されて、「霊」的になるのではない。肉はどこまでも肉で、それは捨て去るべきものだ。
自力でなく「御霊によって」御霊に満たされ、御霊の導きに従って歩むことが、答えであり、肉の欲望から守られる。
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目が開き自分が神となり、神どころか誰からの支配も受け付けない罪深い者となった。自分中心の肉の思いは自分で管理し得ないからだ。十字架により罪赦された事に感謝し、肉を選ばず、御霊の導きに歩める事に感謝しよう。