2010年01月14日(木)

「彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った」T列王19:4



エリヤがバアルの預言者達と戦って、天から火を降らせるという、驚くべき奇跡を成し遂げた後、非常なるストレスから、燃え尽き症候群のような状態に陥り、鬱となり、死にたいと願った。疲れ果てて、限界状態だった。

エリヤはこの危機にどのように導かれたのか。「死にたい」と言ったエリヤを、神は一言も責められない。これは何と大きな慰めだろう。私たちも程度の差はあれ、日常生活で、仕事に、育児に、対人関係に、時に疲れ果てる。

何もかもがしんどくなり、気力が失せ、もう天に帰りたいというほど、落ち込むかも知れない。しかし、そんな時、主はあわれみ深く、同情して下さっている。主はエリヤをとがめも、責めもせず、いたわり、休息を与え、食事をさせ、元気づけられた。

食べ、飲んで、眠らせられた。休息を与えられる。極度のストレスで、正常な思考も出来なければ、必要なものは休息だ。パンを食べ、水を飲んだ。主ご自身が命のパンであり、命の水であられる。

新たなる力を得て、エリヤはホレブ山まで歩いた。ほら穴でひきこもっていると、そこを出て、山の上に立ち、主の前に立てと示される。間違った思い込みを正し、主はエリヤに新たなる使命を与えられた。今、疲れているなら、その状態をよく理解し、思いやって下さる主のもとへ行こう。
-----------------
信仰を持っていても喜べず、疲れる時もある。どのような時にも神の恵みは私達と共にあるから、その状態にふさわしい慰めを主が下さる。寄りかかっていよう。