2010年03月14日(日)

「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」マタイ25:40

「靴屋のマルチン」という話がある。主がマルチンに現れて「明日、お前のとこ
ろに行く」と言われた。翌日マルチンは働きつつ、窓の外に目を留めていた。

寒い外では、雪かきの老人がいた。彼はその老人を迎え入れ、お茶をご馳走した。
次に赤ん坊を抱いた貧しい母親に目が留まった。マルチンは急ぎ出て行き、その
母子を家に入れショールを与えた。

主はまだか、まだかと待っていると、少年が老婆のかごからリンゴを盗って行く
のが見えた。マルチンは少年のために執り成し一緒に謝った。一日が終わり、と
うとう主は現れなかったと、落胆しているマルチンに、主が「今日お前のところ
へ行ったのがわかったかと」言われた。

そして、主の姿が雪かきの老人、貧しい母子、リンゴを盗んだ少年の姿に変わっ
た。目の前の助けが必要な人に手を差し伸べるなら、それは主に対してしたのだ
と。大仰な事でなくとも、ほんの些細な、小さな事で、必要とする人に与えるな
ら主は報いて下さる。

又、小さい者とは、普段余り気にかけない者の事だ。それなら、家族はどうだろ
う。他人には目一杯配慮し、礼儀正しくし、素晴らしく良い人になるが、家族に
は甘えが出て、無遠慮で、配慮を欠くかも知れない。感情のまま行動し、イライ
ラや不機嫌、丸出しだろうか。
家族こそを、まず大切にしなければならない。とにかく、御霊の示しに、従おう。

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主の優先順位は、他人よりまず家族だ。一番身近な、目の前の人を愛せないで、
他人や全世界を愛するなど不可能だ。又、御霊が、必要な人に愛のわざを促して
おられたなら、今すぐ従おう。主の栄光が現され、そして豊かな報いを受ける。