2010年11月13日(土)

「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません」Tサムエル8:19

イスラエルの民が、神の御心に逆らって、サムエルに王を求めた。民が「どうし
ても」と要求した時、主は、民の言う事を聞き入れよと言われた。それは、サム
エルを退けたのではなく、神を退けたのだと。

民は王を求めて、神に反逆し、神を退けた。神はサムエルに彼らに厳しく警告し、
王の権利を告げよと言われた。しかし、それでも尚、民は「どうしても王がなく
てはならない」と言い張った。すると、神は、王を立てよと言われた。

時に、自分が肉で計画した事がうまく行く。思い通りに、画策通りになる時に、
これは神が成功させて下さったと思う。神が認めて下さったのだと勘違いするが、
それは大きな誤解だ。神が、何がなんでも、どうしても行くと言い張る私たちに、
自分の道を行く事を許されただけだ。

どれだけ警告しても、私たちが頑固に聞かない時、神は思う道に行かせられる。
そして、自分がした事の結果を刈り取らせられる。苦しい刈り取りになる。しか
し、神のあわれみは更に深く、尚もその刈り取りを訓練とし、祝福とし、学ばせ
られる。

自我を通すことが、いかに痛い事であり、愚かであるかを身をもって知る。蒔い
たものは刈り取る事になる。今、自分の道に行こうとしているなら、又、神に祈
らずに進もうとしているなら、とどまって祈ろう。方向変換して御霊に従おう。
御霊に従う事がどれほど祝福であり、平安な喜びの道かを知る事になる。

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肉は、その時は自分の思い通りになり快適だが、肉の選択の痛さ苦さを後になっ
て必ず知る。何度も経験する。常に目の前に二つの道があり、御霊を選択出来る
よう祈ろう。愛、喜び、平安の実を結んで行く。そこには潤いと温もり、安堵が
ある。