2010年12月14日(火)

「すべてのことを働かせて益としてくださる・・なぜなら、神はあらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:28

                   
ある人が念願の海外留学となり、皆に見送られ、喜び勇んで出発した。ところが翌年、不意の事態が発生、書類上の不手際でこれ以上滞在不可能と発覚した。不覚のミスであり、交渉したが、どう手を尽くしても許可が下りなかった。主の御心で来たのに、なぜ?こんな事に?納得行かず、悶々状態で、祈りに祈った。

その時、帰りたくないのは、主の御心など建前で、実は人にどう見られるか、何と言われるか、笑われ、プライドが傷つくからだとわかった。人の目が一番の問題であり、人を恐れている自分に気づかされた。のこのこ帰る自分が惨めで恥ずかしい。結局、自分、自分と、自分の事だけであった。

主の御心などと、たいそうな事を言いながら、実は自分の欲望、自分を貫こうとする自我、自己中心しか無い事を見せられた。主の御前に悔い改めた。赦しを受け取り、平安が満ちた。心すっきりした。状況は変わらないのに心に喜びが来た。自分の自我が、欲が、自分を苦しめていた。帰国を心安らかに決意できた。

すると、その直後、事態を知った現地の知人達が動いてくれ、公機関を走り回り、掛け合い、書類を整えてくれた。すると何と滞在許可が下りたのだった。主は起こる出来事を通して、心の内を照らし、お心に適う者へと変え、成長を与えて下さる。問題が問題なのでなく、いつも何かを教えようとされている。
--------------
自分の内がいつも主にあって平和であるなら、どれだけ楽に全ての出来事を受け入れられるだろう。嫌な事は避け、自分のプランを持って物事を通そうとするとたちまち平安は無くなりギクシャクする。主に問うていこう。