2011年02月11日(金)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30


バプテスマのヨハネは、「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」との通り、人々を主イエスに導くために、悔い改めを説き、バプテスマを授けていた。主もこのヨハネからバプテスマを受けられた。ヨハネは、主を「世の罪を取り除く神の小羊」と示した。

ヨハネの弟子たちは「みなあの方のほうへ行く」と、自分達の師から、主イエスに人気が移って行く事を、寂しく思い妬んだ。しかし、ヨハネは違った。皆が主イエスに従うことを心から喜んだ。悔い改めを説いたヨハネは、真に悔い改めた、へりくだった人であった。そのような人は、自分が認められなくても、軽くあしらわれても動揺しない。

妬んだり、攻撃的になったり、自己憐憫に陥らない。人の評価に関心が無いからだ。「ヨハネがキリストか?」と人々に思われ、パリサイ人はそれを聞きに人を遣わしたほどだ。このような大きな評価を受けるなら、幾らでも自分に栄光を帰せる。しかし、ヨハネはキリストではないと明言し、あの方は盛んになられ、自分は衰えなければならないと言った。

私たちの人生の目標は一つ。自分が衰えて行くことだ。自我が砕かれて、自分に死んで行く事。私たちはどれほど主に似ているだろう。似ていないなら、あの方ではなく、自分が盛んであり、自分が主になっている。
--------------
嬉しかったり悲しかったり、その感情は何処から来ているのだろう。自分を通さず主が自分の中に盛んになって行くことを望んでいるだろうか。自分に死んで行こう。