2011年04月13日(水) 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11
あなたも、物事が自分の思い通りに行かない事を経験するだろうか。今までも信仰人生は、決して自分の思い通りにはならなかった。又、突然、不意の事態が起こるのでは、と不安に駆られるだろうか。又、どんなに祈っても、苦しい状況が何も変わらず、全く動かない。祈りが聞かれているのだろうかと、思うこともあ るかも知れない。それは、自分サイドで、自分のタイムテーブルで物事を見ているからだ。 神には神のみ思いがあり、時間表があり、定まった「神の時」がある。それは遅くも早くもない。完璧なピッタリの神の時だ。私たちは待つ事が苦手で困難だ。 しばしば待ち切れない。そのため自分で突き進んでしまう。サウルは、神の時を待てなかった。サムエルの指示に従わずに、祭司ではないのに、自分がいけにえを献げた。神を畏れぬ、越権行為であった。この罪のために、サウルは王位から退けられてしまった。 しかし、この時「ちょうど彼がいけにえをささげ終わった時」サムエルが現れた。もうちょっとだけ待てば良かった。私たちへの教訓だ。神は最善の時をすでに備えておられる。神の定めの時期があり、すべてに時がある。「神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐」。待ちくたびれて、自 分で動くなら、祝福を失う。今しばし忍耐して待ち望もう。時が満ちる時には、思いを越えて突然に事がどんどん動き始める。 -------------- 私の時は御手の中にあり・・だ。思うようにならず煮つまっているだろうか。神の時を信仰をもって待とう。時も、チャンスも自分が上手く生かさなくてはと焦る時はみこころの時がどうかを祈ろう。