2011年05月14日(土)

「彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み・・私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです」詩篇109:3 




ダビデは、自らの真実な心を向けた相手になじられ、愛するに関わらず、憎悪で
攻撃されるという辛い経験をした。サウル王やアブシャロムによる迫害かと言わ
れている。どんなに苦悩であったろう。愛や真心は必ず通じると思いたいが、そ
うでない場合もあるという事だ。

その場合はどうすれば良いかを、ダビデを通して学ぶ事ができる。誠意と愛をも
って接した人々が、敵対し、歯向かって来る。邪悪な口と、欺きの口と、偽りの
舌をもって、憎しみの言葉で取り囲み、罵り、なじって来る。苦しい状況だ。ま
さに、人間の神に対する態度そのものだ。

しかし、神は、神に敵対する者を更に追いかけ、愛し続け、御子まで殺して下さ
った。その御子を私達はどう扱ったか。神の愛すら通じないのであれば、罪人で
ある人間同士の愛が通じなくとも不思議はない。主は十字架上で、人々の罵りに
対してどうされたか。人々の赦しを、御父に祈られた。

ダビデも同じだ。「私は祈るばかりです」。相手に復讐するのでなく、神に、心
の内の何もかもを赤裸々に打ち明け、神に知って頂くことができる。神に心の内
を叫んだダビデは、この後、賛美と感謝へと変えられて行く。

今、もしこんな苦しみの中にいるなら、答えは「私は祈るばかりです」。神に心
の何もかもを打ち明け、聞いて頂こう。平安に変えられる。

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苦しみも悲しみも、思い煩いも、人に言えば愚痴になるが、主に言えば、祈りと
なる。心の内の何もかもを、打ち明け、聞いていただこう。今、目の前のその思
い煩いを、心配事を主に告げよう。主が受け止めて下さったとの、平安と安堵に
変えられる。