2011年06月13日(月)

「山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない」ヨシュア17:18

ヨセフには、マナセとエフライム二人の息子がいた。ヤコブはこの孫たちに特別な祝福を与えた。ヨセフ族はマナセ族とエフライム族とに分けられ、特別な地域、そして広大な地域を割り当てられた。それなのにヨセフ族は不満で、ヨシュアに文句を言った。数の多い民になったので、もっと多くの土地を欲しいと思ったようだ。ここに見るように、豊かに恵まれているのに、満足できないで、もっと、もっと、と更に欲しくて、いつも不平不満を言う人々がいる。

その事にヨシュアは、数が多いなら、力もあるのだから、自分達で出て行って、新しい土地を切り開くようにと言う。すると「山地を切り開くのはしんどいから嫌だ、谷間はカナン人が住んでいて、鉄の戦車を持っているからだめだ、できない」と、うだうだと言い、嫌な事、しんどい事はせずに、ただもらう事ばかりを考えている。

それに対して、ヨシュアは、数が多くて、力があるのだから、山地をどんどん切り開いて行け。カナン人が鉄の戦車を持っているのであれば、あなたがたは戦い、追い払えと言った。私たちはどうだろう。何もしないで、文句と不満タラタラの生活だろうか。神が共におられるので、山地もあなたのものとせよ、と言っておられる。神が「せよ」と言われる事が目の前にあるだろうか。その事に一歩従う時、前に進める。主は更なる霊的祝福へと導き入れて下さる。
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同じ与えられた一日だ。「せよ」と示されていることがあることはなんと感謝なことか。足ぶみばかりしているなら、もっと能動的に動きだそう。一歩踏み出そう。