2011年12月12日(月)

「しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい」T列王17:13


ケリテ川が枯れた時に、次に、やもめ女のもとへ行くように命じられた。飢饉はどんどん拡大し、イスラエル全土だけでなく、シドンにまで達していた。「そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養う」。エリヤはどうだったろう。カラスの次は、異邦人の女性に養ってもらうなど、プライドが砕かれることだったろう。

しかし、へりくだって、主の言葉に従った。養われるというので、どんな資産家と思いきや、そのやもめは、もう、かめに一握りの粉と、つぼに少しの油とで、子供と最後の食事をして、死のうとしていた。人間的に考えたなら、その死ぬ前の食事を、まず私の所へ、などととても言えない。何と非常識なと。しかし、エリヤは信仰に立った。神を信じた。そうするなら、飢饉が終わるまで、かめの粉は尽きず、つぼの油は無くならないと。

そのやもめは、エリヤの言う通りに従った。すると、主の言葉の通りに奇跡が起こり、大飢饉のまっただ中で、やもめと子供は養われ、命が救われた。神のみわざは、神の言葉の通りに、その通りに従うところに現れる。それは一見、この世的価値観からすると、理解できない事があるかも知れない。しかし従う時に、神を経験して行く。エリヤは信じる事、へりくだる事、従う事の訓練を経て、この後、カルメル山で450人のバアルの預言者400人のアシェラの預言者と戦うことになる。
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神の栄光としか考えられない御わざの経験が次ぎの信仰へと結び付けられる。神にしか頼れないギリギリの状態に置かれる時、この神への信仰の経験だけを握って暗いトンネルから抜け出よう。