2012年01月14日(土)

「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15



主は完璧なスケジュールを持っておられる。すべての「時」が主の支配の内であ
るので、人生の喜び、悲しみ、苦しみ・・「何事にも定まった時期があり」それぞ
れの「時」をしっかり受け入れて、生きて行く事が大切だ。それこそが成長とさ
れる。

ダビデは出口も見えないような「壊れた器のようになり」「命を取ろうと図ら
れ」「四方八方みな恐怖」という苦難の時に、この時が、神の「御手の中」にあ
る事を見た。そして、これらは、神の「時」に導かれ回復して行った。

ヨセフも、彼の「時」が来る事を、予め夢で見せられていたが、紆余曲折により、
様々な「時」を通った。兄達に妬まれエジプトに売られ、主人の信頼を得るが、
その妻からの濡れ衣により投獄される。そこで、よく仕え、模範囚となり、その
中で献酌官長の夢を解き明かし、今こそ出獄の「時」と思いきや、更に、2年の
「時」を忍耐し、待たねばならなかった。

やがて、王の信任を得、総理大臣に任命されることになる。ついに、神が予め示
しておられたヨセフの「時」が成就する。そして、神の定めた「時」は、誰も、
何ものも阻止することができない。

私たちの「時」も、主の御手の中にある。それは愛と慈しみの御手だ。主の約束
を、まだか〃と待ち望んでいるだろうか。すでに「時」は定められている。焦ら
ず、主を信頼し続けていよう。

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状況だけを見ると、主から目がそれるので、思い煩いと不安だ。しかし、主を仰
ぐと、約束実現の時は「主の御手の中にある」。何と感謝で平安な事だろう。じ
っと待ち望む時が無ければ、信仰も忍耐も養われようがない。待つ時も、すべて
の時が幸いな「御手の中にある時」だ。