2012年02月12日(日)

「しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、わたしのところに持 って来なさい」T列王17:13



飢饉の時に、エリヤは主から示された通りに、ケリテ川へ。そのケリテ川が枯れ
た時、次にエリヤは、シドンのツァレファテへ行くように告げられた。そこで、
飢饉の中、やもめ女に命じて養うと。

主の言葉に従い、その町へ行くと、やもめ女に出会った。そこで彼女に水とパン
を求めた。すると、彼女の悲惨な状況が発覚した。資産家などではなく、最後の
一握りの粉でパンを作り、母子で、最後の食事をして死のうとしているという、
何という状況だろう。

目の前の人物は、人を養うどころか、今にも飢え死にしようとしている状況だ。
しかし、助けを求めなければならない。人間的に考えるなら、その最後のパンを
自分にくれとは、どうして言えよう。しかし、エリヤは目に見えるところでなく、
情でも、思いでもなく、信仰に立ち、ただ御言葉に従った。

まず自分にパンを作り、その後に、あなた方のために作るようにと。そうするな
ら、飢饉が終わるまで、粉は尽きず油は無くならないと。人の思いや情は、神の
みわざを妨げる。彼女はエリヤの言葉に従った。

すると、母子は飢饉のまっただ中で、かめの粉は尽きず、豊かに養われた。それ
は母子のためでもあった。神を第一にして従う時、栄光を見る。自分の思いや情、
見えるところが真逆であっても、神の言葉を選択し、信仰によって従おう。その
時、主が責任を取って下さる。今、示されている事があるなら、従おう。

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人間的な思いや、常識、人情でなく、御言葉に従うことを教えられる。又、御言
葉に従おうとする時、様々な肉の思いが交錯し、妨害してくる。背後にサタンが
従わせまいと強く働く。しかし、御言葉に従う時、すべてが秩序立って、主の栄
光へと導かれる。