2012年03月14日(水)

「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます」ヨハネ10:3


羊は、羊飼いの声を聞き分ける。しかし、巷には、様々な「声」がある。主の御声があり、サタンが語りかける声もある。自分の肉から湧き上がる声があり、人の声がある。色々な「声」が混線している。サタンは神の御声を真似て、光の御使いに変装する。神からの御声と錯覚させる。そのため、どこからの「声」なのか、根源がどこなのか、識別する必要がある。

主の御声を確かめるためには、それは御言葉と合っているかを見る必要がある。聖書全般を通して、主のお心に反していないか。もし「苦み」があるなら、それは主からのものではない。「苦いねたみと敵対心があるなら・・そのような知恵は上から来たものではなく・・地、肉、悪霊に属するもの」とある。

又、次に、その声は心に平安を与えるかどうかで判別できる。主からの御声は、心にいのちと平安を与える。その声で、心が暗くなり、落ち込み、不安、思い煩い、焦燥、怒り、苦しみが生じるなら、主以外の声だ。又、わけもなく急かすものも、主からではない。主は不安を与え、急かすのではなく、平安与え、導かれる。

又、その声と「環境」を照らし合わせると良い。主からの御声は、状況も、必ずそのように導かれて行く。そこに矛盾はない。主の御声を聞き分けるために、自分の思いや願望を明け渡すよう示される事があるが、聞き従って行く時に、豊かないのちへと導かれる。
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聞き分ける羊のように、主の御声に対する求めがあるだろうか。いらいらし苦しくなる時は、他の声を聞いていないか、何か間違っていないかと御前に行き、主からの御声を静まり聞こう。