2012年07月14日(土)

「神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた」詩 篇78:14


主は私たちを導かれる。導きがなければ、どう進んでよいかわからない。主は導
きの主だ。私たちの歩みを一歩一歩導かれる。主の導きを求める時、「環境」を
よく見ることは大切だ。

パウロが二度も環境を通して、行く手を阻まれ、導かれたことは有名だ。アジア
で御言葉を語る事を禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方を通った。そして、
ビテニヤに行こうとしたが阻止され、そこでトロアスに下った。

結果的にヨーロッパ宣教という、主の大きなご計画があった。もし神の阻止がな
ければどうだろう。違う方向へ向かっていただろう。私達一人一人にもご計画が
あり、行く手にストップをかけて導かれる。これは、更なる素晴らしい導き、別
の大きな計画があるという事だ。

入試や就職試験、不合格なら、それは神のストップであり、御心でないという事
であり、御心は、別にあるという事だ。しかし、阻止となると導きを失ったと勘
違いし、不安になる。導きが無くなる事は決して無い。道が自分の思いと異なる
という導きだ。次の示しを待てばよい。

又、「ノー」を通して、他の何にも代えられない取り扱いにあずかり、霊的成長
とされる。御心の門は、自分で開くのではなく、必ず主が開かれる。目の前で、
門がひとりでに開かれて行く。開かれた門から入ればよい。環境と共に、御言葉
と、祈りの中での平安に目を留めて、導きにあずかって行こ

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信仰人生を主は導かれる。だが時に自分の思いと主の思いが異なる。自分の思い
通りではない。自我は、自分の思い通りにならなければ、イラ立ち、落胆する。
しかし、主は、確かな良い道へ、主の栄光の現れる道へと導かれる。最善をして
下さる。そう信じる時、心は平安だ