2012年10月14日(日)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれ が立ちはだかることができよう」箴言27:4



「妬み」は誰しもが経験する悩みだ。憤りと怒りは残忍なものだが、
妬みはもっと酷いと言っている。ある人が、同期で入った同僚の営
業成績が、いつも自分より上で、周囲からの賞賛の的である事に、
強い妬みを抱いていた。しかし苦しいのは相手でなく、本人であり、
心が辛く、常に苦しく、がんじがらめだ。

サウル王もダビデを激しく妬んだ。女たちが歌い踊った「サウは千
を打ち、ダビデは万を打った」その歓声を聞いて、サウルは激怒し、
ダビデに嫉妬し、それは根深い憎しみとなり、ダビデを攻撃し、抹
殺しようとつけ狙った。妬みは殺人にまで及んでしまう、恐ろしい
罪だ。

しかし、ダビデはサウル王に何一つ悪い事をしていない。むしろ忠
実で有能な素晴らしい部下であり、一心にサウルに仕えていた。妬
みのとりこになってしまうと、何も見えなくなる。ダビデがどんな
に自分に良くし、仕えてくれているかも、主の祝福がいっさい見え
ない。盲目になってしまう。

妄想の中で、相手を疑い、悪意を抱き、ますます主から離れて行き、
愛、喜び、平安を閉め出す。妬みは人生を台無しにしてしまう。上
記の男性は、妬みを主の御前に心底悔い改めた。そして、主に従い
たいと、相手の祝福を祈った。ますます彼の営業成績が上がるよう
にと。

すると、自分の心に御霊の平安が来て、苦しみから解放された。自
分の力では絶対に出来なかった「喜ぶ者といっしょに喜び・・」の御
言葉が自分の身に成就された。何にも代えられない喜びに溢れた。
そのままで主のもとへ行こう。主が解決へと導いて下さる。

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人を祝福できないことは自分が苦しい。平安も喜びも無く、心は重
く虚しい。祝福できたなら、どんなに幸せだろう。それを阻む自我
が問題だ。主に洗いざらい心の内を告げよう。必ず主は解決へと導
いて下さる。