2013年01月14日(月)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい・・しかし、人は神が行われるわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」伝道3:11  



 主のみわざは、時にかなって美しい。「かなう」とは「ぴったり合う」「適合する」「丁度当てはまる」であり「時にかなって」とは「ちょうど良い時」「ピッタリな時」「ジャストタイミング」だ。「美しい」とは。「調和がとれていて快適に感じられるさま」であり、「人に感銘、感動を与えるさま」だ。

主のみわざはピッタリのタイミングで、秩序と調和があり、人に感動を与える。ハマンにより、ユダヤ人絶滅の悪巧みがなされた際、そこにピッタリのタイミングでエステルがいた。王に願うとは、エステルだけにしか、他の誰もできないことだった。そしてエステルは命がけで従順に従った。自分にできることをした。結果ユダヤ人は救われた。

飢饉のため祖国を離れたナオミが、帰国を決意した時、ルツも従った。それが丁度、大麦の刈り入れの時期だった。落ち穂拾いという生活の手段が備えられていた。又、その場が、はからずもボアズの畑であった。ボアズの畑を選んだわけではない。たまたま足を踏み入れた畑だった。そして丁度その時、ボアズが姿を見せた。

まさに、主のなさることは時にかなっている。神に従い、故郷を捨て、異国の地に来たルツは、豊かに報いられ、ボアズとの結婚が備えられていた。すべての時に、ふさわしい事をされる。今はわからずとも、いつか必ず「美しい」ことが判明する。信じていよう。
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はからずしも全てに美しい神の摂理の中を生かされている。まだ見ることが赦されていないが、恵みと祝福の備えを見つめて、不安や恐れを主に委ねながら、今日の一日を歩んでいこう。