2013年04月13日(土)

「そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるの が聞こえたので、『あなたは、読んでいることが、わかりますか』 と言った」使徒8:30


              
女王カンダケに仕えるエチオピア人の高官がいた。彼は、礼拝の
ためエルサレムに上り、今、エチオピアへ帰る途上だった。馬車の
中で、イザヤ書を読んでいた。その時、御霊がピリポに「近寄って、
あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。

そこでピリポは御霊に従い、馬車に近寄り、並んで走りながら、
「あなたは読んでいることがわかりますか」と声をかけた。彼は
「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答え、馬車に乗
って、一緒に座るよう頼んだ。

ピリポはこの箇所からイエスのことを彼に伝えた。た。彼は、書い
てある意味がわからなかったが、主を求めていた。だから、イザヤ
書を読んでいた。この箇所によると、求めがあれば、必ず主を知る
ことができる。求めるなら、与えられる。求める者は受ける。

必要な導きが与えられる。高官にピリポが備えられていたように、
あなたにもふさわしい導き手が備えられている。そして、喜びに満
ちる。主は、「求め」を求めておられる。あなたに「求め」がある
なら、必ず主がわかるようにして下さる。

又、ピリポは、御霊の導きに、素直にすぐに従った。ぐずぐずして
いたなら、高官は行ってしまった。主の働きに用いられる恵みにあ
ずかった。あなたも御霊の導きがあるなら、すぐ従おう。主のみわ
ざのために用いられる。

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主に求めるなら、必ず与えて下さる。求めがあるなら、答えられる。
御霊が教えて下さり、又、必要な導き手も与えて下さる。それほど
強い求めが無いことが問題だろうか。主は、求めを喜んで下さる。
求めるなら、答えられる。