2013年11月13日(水)

「私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負っていません」ローマ8:12



御言葉は「肉」をどう言っているのか。神は、キリストを罪深い肉と同じような形で遣わされた。肉体を取られ、人となられたキリストが、十字架で肉の処罰を受け、肉の全責任を負って下さった。十字架で肉に対して決着がつけられた。私たちの肉は、すでにキリストにおいて処罰されているので、肉に歩む責任は無い。

しかし、肉に歩む責任は、すでに無いに関わらず、肉は私たちに絶えず迫って来る。神は「何も思い煩わないで・・願い事を神に知っていただきなさい」と言われる。「何も心配するな」と。何と感謝な事だろう。今、あなたのその心配事、その不安材料もだ。しかし、肉は「そんな事あるものか。そんな何もかも神任せなど、無責任だ。ちゃんと心配しなければ」と言って来る。

肉は、思い煩うべきだと言い、心配しないと不安なのだ。肉は思い煩うと安心する。それは肉に従って歩む責任を、肉に対して負うことだ。自分の肉も、人の肉に対しても、それを負い、合わせる責任はいっさい無い。肉の声を聞かずに、捨てて、御霊の声を聞いて、従って行く事が大切だ。

そして、御霊の導きを受けた時、自分にはできないとすり抜けてしまったり、捨ててしまっていないか。その時に、捨て去るのでなく、「私にはできません。助けて下さい」と祈って行く事が大切だ。主に向いて行く時、できるようにして下さる。肉に従うなら、死ぬが、御霊に従うなら、生きる。
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肉の声を聞き続けながら、御霊の導きに従うことは無理だ。主が思い煩うなと言われたから信じて行こうと、目指して行くのが新しい歩みだ。主が弱い私たちを助けて下さる。