2014年01月14日(火)

「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者になるでしょう。私の父サウルもまた、そうなることを確かに知っているのです」Tサムエル23:17



サウル王はダビデに嫉妬し、ダビデを殺害しようと執拗に追いかける。そのダビデがケイラの人々をペリシテ人の手から救った。その時、ダビデを追うサウルがそれを聞いて、ケイラに下り、ダビデを封じ込めようとした。しかし、ダビデは助けたケイラの人々の裏切りを知り、神の示しにより再び荒野へ逃亡する。

ダビデが逃げた事を知り、サウルは討伐を止めた。どんなにサウルがダビデを追っても、「神が」決して、サウルの手に渡されなかった。ダビデは逃亡を続け、ジフの荒野に潜伏する。命をつけ狙われ、いつ殺されるかわからない。まさに死と隣り合わせの日々であり、どんなにか恐怖であったろう。

サウルは一国の王であり、ダビデは僅か600人の部下を持つだけだ。比較にもならない。いざとなればサウルは国民全体をも招集できる。そんな時、ヨナタンが、神の御名によってダビデを力づけた。「恐れることはない。父の手があなたの身に及ぶことはない。あなたこそイスラエルの王となる」と。「神が」ダビデをサウルの手に渡すことなく守られると。

ヨナタンは状況を見るのでなく、神を見、神の約束を見ていた。王の息子が、ダビデにはっきりと、あなたこそ王で、自分は次に立つ者だと言った。立場と状況を見る時、いかにヨナタンが神を畏れ、神に従う者であるかがわかる。彼の信仰だ。「神の御名によって力づける」とは、状況でなく、自分の思いでなく、神の約束と神の御心に基づいて、力づける事だ。
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数限りない神の御約束が聖書に溢れている。何と感謝なことだろう。その御約束を信仰をもって受け取り見えるところにはない喜びと希望で人を力づけ、また自分自身を奮い立たせたい。