2014年02月11日(火) 「私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7
「私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7
もし私達が失敗した時には、どうすればよいのか。あなたは行為や言動が間違った時どうするだろう。その事を見ずに、無視する事ができる。自分の内で無かった事にする事ができる。又、周囲に責任転嫁をする道がある。自分を正当化し、人のせいにし、人に責任をなすりつける。 自分がお皿を割った時に、こんな所に皿を置く者が悪い。こんな所に置かなければ自分は割らない。又、人の言動に腹を立てる時、怒らせる事を言う相手が悪い。そんな事を言わなければ、自分は怒らない。又、人は、触れられたくない弱点を指摘されると、相手を攻撃する事でおおい隠す。私達は、よく失敗する。皆それぞれ弱さを持ち、間違った選択をしてしまう。罪を犯したくないが犯してしまう。 その時に、無かった事にし、無視するのか、その事を認めず、否定するのか、周囲に責任転嫁するのか。神は一つの道を示されている。「自分の罪を言い表わすなら・・その罪を赦し、すべての悪からきよめて下さる」。いっさいの言い訳と自己弁護を止めて、失敗に自分が責任を取るのだ。それが悔い改めであり、光の中にいるという事だ。 ダビデも、ナタンに姦淫と殺人の罪を指摘された時に「私は主に対して罪を犯した」と自分の罪を認めて悔い改めた。すると「主もまたあなたの罪を見過ごして下さった」と完全な赦しが与えられた。主の愛と赦しがあり、言い訳など必要ない。私たちは、赦されて〃生きて行く、恵みのまっただ中にいる。 ----------- 罪を犯してしまうが、その後の処し方は主が与えて下さっている。言い訳はすぐに出てきて、罪などなかったように思いたいが、自分自身が迷い欺かれてしまう。いつも主との交わりの中に歩みたい。